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2011年3月の1件の記事

2011年3月25日 (金)

東北関東大地震

このたびのとてつもなく大きな災害で被災された全ての皆様、また
そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く被害を受けた地域が復旧復興されますよう
心からお祈り申し上げます。


あの日、私は都内の自宅で、提出予定だった仕事のラフをFAXした後
娘が帰るまで仮眠をとっていたのでした。
そして14時46分、大きな揺れで目が覚め、猫と飛び起き居間に
行ってみると…金魚水槽の水は大きく波打って床にこぼれ、食器棚も
今までみたこともない程大きく軋み、据え付けの棚の扉も全開、
中の物がいまにも落ちそうになりながら強く揺れ続けていました。
正直、こんな地震は生まれて初めての事だったので(都内の震度5強
など震源近くに比べれば大げさに語るべきではないのですが)焦りながらも
これは夢を見てるんだろうかと心のどこかでぼんやり思ったり。


心臓がバクバクして揺れで足下ももつれるけれど、とにかく
玄関に行って扉を開け、ストッパーで固定し避難経路の確保、
猫をキャリーバッグに詰め地震が収まるのを待ちましたが
なかなかおさまらない…。
とにかくPCを立ち上げてみると、ツイッターは地震の報告で騒然。
でも沢山の方々の無事を瞬時に確認することが出来、本当に安心しました。
悪夢のように長い地震の間、すごく動揺していた私も独りじゃないんだと
思えたことが心強く、ネットで繋がっていることがありがたかったです。


地震がやっと収まり、子供を学校に迎えに行こう(我が家から小学校まで
徒歩3分)と、家を出ようとしたら娘が防災頭巾をかぶって帰ってきた。
無事な姿を確認してほっとしたのも束の間、また大きな余震が!
地震の第二波には下校途中で多くの子供が遭遇したはず。
後で聞いた他のママ達の話では、道に屋根瓦など落下していたそう。
子供たちに何事もなくて本当に良かったけれど…。


結局、我が家は私が寝室に積んでいた文庫本が雪崩をおこした
だけで奇跡的になにも倒れず落ちずで済みました。
マンションの一階なので、それほど揺れの影響を受けなかったの
かもしれません。


しかし、地震発生から2週間、あらゆる事態は未だ収束されたとは言い難い
過酷な状況が続いています。
電力の問題も…日本は将来、原発をいさぎよく手放すということはできない
のでしょうか。今回の原発事故は、未だ安定せず困難な状態の中で沢山の
教訓を教えてくれていると思うのです。大きな代償と引き替えに。

これから東北地方でどんどん新しい建物が建設されることと思いますが、
今後建つ住宅には太陽光発電を義務、…はさすがに難しいでしょうけれど
東北地方に限らず、国が長期計画で助成金を出し、各家庭にソーラーパネルの
設置を奨励するなどしたら、原発に頼らずとも、ある程度の電力はまかなえる
ようになってゆくのでは?などと考えてしまいます。

太陽光発電によって多くの家庭や企業が、各自で安全な電気を生み出すことが
出来るようになれば、リスクの高すぎる原発、比べてリスクは少ないけれど、
限りある燃料を使いCO2をはき出す火力発電はどんどん必要なくなってゆく
のではないでしょうか?
どなたか偉い人、真剣に考えてくださらないかな…


とりあえず、今私にも出来ること、節電・物資の少ない今だからこそ
みんなが必要とする物は必要最低限の上で普段の生活を送ることですね。
被災地で過酷な状況におられる方々、事故現場で体を張って危険な作業をして
下さっている方々のことを考えると、少しぐらいの不自由に文句などある
はずもありません。
しかし、私の住んでいる地区は現在計画停電から除外されています。
でも少しでも力になりたく、私に出来る限りの節電に励んでいます。

そして今すぐ最も力になれる事として、せめてもの義援金は日本赤十字に
送らせていただきました。
あと、、ものすごく無力ながら仕事や家事雑事のふとした合間に
被災地や原発事故が少しずつ良い方に行くようわずかな思いを馳せて
祈っております。


本当に今まで私たちは便利な環境に慣れすぎていたのだと思います。
私たちが当たり前だと思っていた生活は、なんと脆かったことでしょう。


今回の震災で色々な事に気付いた人たちから、少しずつ出来る事をしていけば
もっとムダのない、より良い未来に変えて行けると確信しています。


東北・関東がんばれ!!日本、がんばれ!!私もがんばるよ!

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