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2009年5月27日 (水)

ご冥福をお祈りします

昨日26日、作家の栗本薫さんが亡くなられました。
あまりにも早すぎるご逝去に、ただ茫然として悲しみでいっぱいです。
学生の頃はグインの新刊が出るのをわくわくしながら待っていものでした。


昔、ニフティーサーブというパソコン通信があり、私はそこのRockの
フォーラムによく出入りしていたのですが、ひょんな事から栗本さんの
旦那さまの今岡さんのバンドに加わることになったのでした。
今岡さんが妖しいヴォーカル兼ベース、それにギター、ドラム、
そして相方の女の子と私2人でコーラス。
今岡過激団月組というバンドでした。
もう、はちゃめちゃで楽しくて可笑しくて、なんでもアリで自由で
居心地が良くて、それは今岡さんという人の自由で優しい素敵な
人柄を反映したバンドで(たまにムチャクチャなんだけど、また
そこがたまらなく楽しかった)私はそこで本当に素晴らしい時間を
過ごさせて頂きました。
この頃の事は今でも私の大切な、何物にも代え難い心の宝物です。


ライブに向けての練習の際に、今岡さん宅にお邪魔することも多々あり
ピアノの置いてあるリビングで練習している時も、壁一枚隔てたキッチンの
ダイニングテーブルで執筆中の薫さんのキーボードを叩く音が、ずっと
それこそ何時間も途切れずに聞こえてきて、その神懸かり的な執筆のペースに
もうこれは神様が降りてきているんだなと思ったものでした。


そして練習の後に薫さんの手作りのお夕飯をご馳走になることもありました。
学生の頃に大好きだったグイン・サーガ、ケント紙にイシュトとリンダの絵を
描いて、栗本先生に送りたい!どうしよう!とか思っていたのに
(実際は送らずそのまま、今でも実家のどこかにあると思いますυ)
数年後にその作者さんの旦那さまとバンドを組んで、薫さんのお夕飯を美味しく
いただいているなんて、世の中って何があるか本当にわからないものだ、
なんてしみじみ思っていたのでした。


その後、バンドには2年ぐらい居たかな?自分の仕事が忙しくなったのと
(その時はまだイラストのお仕事ではなく会社に勤めてました)
何か色々な理由により私と相方のコーラス隊は抜け、過激団もメンバーを変えて
新しく生まれ変わり、ニフティーサーブ自体もインターネットがとって変わり
いつも集っていたフォーラムも無くなり、だんだん接点がなくなっていったのです。
その後勤めを辞めて、家でイラストのお仕事をするようになり、出版業界に
入って改めて薫さんの存在の大きさを知りました。
いつかお仕事上のどこかで接点があるといいな、と思っていたのですが
以前お仕事させていただいたご本の著者さまが、薫さんのお弟子さんだそうで、
出版にあたって、文庫の帯の推薦文を薫さんが書いて下さることになり
聞いた所によると、本の挿絵が私と知って驚いて下さったそうです。
私にとってもなんとなく嬉しい出来事でした。


といいつつ、私もその頃は育児と仕事に追われていた時期で、結局ずっと
ご無沙汰したままだったのですが。
昨年の秋、今岡さんの還暦ライブ(!)が懐かしの渋谷のライブハウスで
行われました。
実に十年ぶり?位の年月が流れていたのですが、観に行ってみると、そこには
昔のニフティの仲間もたくさん集まっていて、あまりの皆の変わらない姿に
驚きつつ喜びつつ、まるで同窓会のような幸せな気持ちになったのでした。
薫さんのご病状は伝え聞いてはいたのですが、今岡さんの唄う横でパワフルな
ピアノ演奏を披露されて、お姿も振る舞いもご病気とはまったく思えない
ご様子でした。


その時、ほんの少し薫さんとお話しする機会があって、私が「以前、ご本の
オビの推薦文をありがとうございましたー!」とお礼を述べると
「あれはビックリしたね〜!」とにこやかに仰って下さいました。
そのとき触れて下さった手が温かくて柔らかくて、
ああ、薫さんがお元気で本当に良かった、と思ったのです。


本当に惜しい人がこの世からいなくなってしまいました。
残念でなりません。今岡さんや息子さん、ご家族の悲しみもいかばかりか、
私に出来ることは何も無いけれど、そんな自分がはがゆく、淋しい。
日本中で同じ思いを抱えている人が今夜は沢山おられるでしょう。
今は、悲しみを抱きしめながら故人が与えてくれた沢山のものに感謝し
心からご冥福を祈るばかりです。
薫さん、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
どうぞ安らかに。

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